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2006年08月31日
やっと咲いたひまわり
20日のひまわりカーニバルには間に合いませんでしたが、1週間遅れで今満開です。とても100万本とまではいきませんが、それでも太陽に向いて、しっかりと陽を浴びて群生しています。お立ち見台はありませんでしたが、それでもひまわり畑に入って花の精に近づきたいものです。私も仲間に入りました。
2006年08月30日
栗林のそばで
栗の木を大切にしている人に出会いました。暑かった夏でしたが今朝の涼しさに秋の近さを感じました。そういえば確か...と思って探すと出てきました。今年の5月の写真です。「栗を収穫して、大きな粒を選び、冷凍しておくんです。あたたかくなって植えると、成長が早いんです。」と教えてくれました。今年の出来はどうでしょうか。
2006年08月27日
86歳の義母
デイサービスの日の朝、「なんだか今日は調子が悪いから」と言っては保育園に行きたがらない子供のように顔をしかめてベッドに座っている夫の母百合子さん。「大丈夫ですよ、みんなに会えば元気になりますから。」と朝食後の身支度を手伝って私は朝の宣伝に出かけます。帰るとじっと座ったまま待っていらっしゃる。自分が意識しないまま他の服に着替えていることもあります。それでも一日デイサービスで交流して帰ると、とても元気の良い声で「ただ今帰りました。」送られた方にも「どうもご苦労さまでした。有難うございました。」と丁寧な挨拶。8月23日、86歳の誕生日を迎えました。
2006年08月23日
地域の庭先で
火曜日の朝はいつも金崎で街頭演説です。終えてから、しばらくご無沙汰だった地域をたずねることにしました。金浦の入り口にはびっしりと花をつけた朝顔のカーテンが印象的です。
いつも白い犬を散歩させているおばあちゃんの姿をしばらく見かけません。この暑さですから休んでおられるのでしょう。さらに海辺に向かうと、ミニ盆栽の達人に出会います。「お久しぶりです。」彼の作品で一番好きだったのが、ミニ朝顔の集団でした。「あれはもうないの?」と聞くと、「もう面倒見切れなくて、置くところもないよ。」と答えながらも「これがその種だ。」と、袋にしまった種を見せてくださいました。
もう皆さんプロです。
大河の常夜灯
いつでも手の届くところに置いたままの絵の具と筆を車に乗せて、どうしても描きたかった常夜灯を午後仕事の後にたずねました。苔むしたかさもそのままで生きています。このあたりは、海面より低地で吉浜郷と呼ばれています。その昔は海でした。この常夜灯は、十数軒の集落を照らす唯一の街灯であったに違いありません。周囲を山に囲まれたこの地は別名「くじら鼻」と呼ばれています。海がそこまで来ていたことが地名からでもうかがえます。
車から降りようとすると、ポツリポツリ。急いでカメラに収めましたが、暗かった空はついに夕立を運び、雷鳴をとどろかせました。又今度くることにしました。
2006年08月22日
平和の鐘
笠岡市は平和宣言都市です。金崎の干拓入り口にあるポールのそばに平和の鐘が立てられています。8月6日、今年で2回目の平和記念行事もここで行われました。
私は毎日朝夕街頭演説をしていますが、今、再び教育基本法改正反対でお訴えをしています。平和な国づくりと教育は大切なつながりがあります。法律の改正で何をしようとしているのかを訴えていると、子供たちが、「おばちゃん、それって学校の前で言ってよ」と言って手を振り、自転車に乗って通り過ぎていきました。
アジア諸国民2000万人、日本国民350万人の命を奪った日本の侵略戦争。日本はその戦争を反省し、二度と戦争はしないことを憲法9条に書き込み、世界各国に約束いたしました。
そしてその平和憲法を花開かせるために、前文に「教育に待つところが大きい」と書き込み、教育基本法を決めました。
ところが自民党公明党政府与党が、この法律を変えようと先の国会に改正案を提案し、継続審議といたしました。こんなやり方と内容でいいのか一番困るのは子供たちです。子共の毎日に、とても関係のある学校、図書館、児童館、家庭などでの教育のおおもとを定めた「教育の憲法」と言われる大切な法律が教育基本法です。
その法律を与党のごく少数の人たちが3年間、新聞記者も入れないような場所で、ごく少数の役人の人と一緒にどう変えるかを議論し「もう結論が出た」といって国会で法律を変えようとしています。
やり方もひどいものですが、その内容も大変なものです。一つは新聞やテレビでも「心配だ」と言う声が上がっている愛国心の問題です。「国を愛する態度」をみんなに持たせることを学校の目標にしようとしています。目標の達成には基準が必要とされますが、東京都の学校では「君が代」斉唱が基準です。うたわないと先生を処分でおどして「君が代」を大きな声で歌うよう求めています。
以前テレビで東京都の教育長がこのことを天皇に誇らしげに語っている姿が報道されました。それに対し、天皇は「押し付けはよくない」と語ったことも報道されていました。福岡県を始め、全国のいくつかの市町村で通知表に愛国心の評価欄がありました。わが党の質問で小泉首相は「評価は難しい」と答えています。その答弁を受けて、今全国的に愛国心評価欄の訂正が行われています。
日本の国に住んでいて、「一人ひとりが大切にされる」、また日本人が世界で立派な成績を残巣。そんな時、誰もが「日本はすばらしい、」「日本人に生まれてよかった」と誇りに感ずるものです。私もその1人です。タレントの稲川順二さんは「国をする態度の押し付けではなく、愛する国であるようにしてほしい。」と語っています。愛国心は心の中に市民道徳として育つものです。
あの痛ましい戦争を体験された方は口々に「愛国心の押し付けは戦争への道」と語っています。
私、ひのつ倫子、元山陽高校の教員です。毎日、15歳から18歳の子供たちと勉強してきました。昔政府の「日本は正しい戦争をしているんだ」との教えで、この年代の子供たちの多くが命を落としました。そのことの反省に立って決められた大切な原則が教育基本法に書かれています。今、自民党公明党政府与党がその法律を変えようとしているのです。民主党も基本的にその考えです。みなさんの子供さん、お孫さんを戦争に借り出す国にしてはなりません。
わたしひのつ倫子、教え子を「戦場に送るな」を肝に銘じ、教育基本法の改正には反対です。
政府がもう一つやりたいといっているのが先生たちが心配している「全国一斉学力テスト」です。このテストは学校でいつも行っているテストではありません。すでに学力テスト競争を始めた学校では先生たちには「平均点を何点上げろ」とノルマが課せられ、平均点を下げるからと言ってテストの日に学校を休む生徒も出ています。「何でこんなことをするのか」と涙ながらに怒っているお母さんも多数おられます。
このテストは子どもたちに勝ち組負け組を持ち込むテストです。法律が変わればこんなことがどんどん押し付けられるでしょう。今、教育に必要なのはこんなことではありません。一つには、一人ひとりの子供が大事にされるように、少人数学級30人以下学級にすることです。2つにはみんなが良くわかるように勉強を教えることです。3つには体罰やえこひいきのないあたたかい学校をつくることなどです。
わが党の質問でそのような学校づくりには教育基本法の改正は必要ないと政府も答えています。教育基本法を変える必要などまったくありません。教育を良くする事に背を向けて、皆さんや教育をしばる法律にするなど到底許せません。多くの大人たちが立ち上がって子供たちのためにそんなことをさせないように、教育基本法改正反対で共に頑張っていきましょう。
2006年08月21日
10月実施の改悪案
環境福祉常任委員会が21日開かれました。9月議会への議案提出案件の事前説明と、議決事項や法改正に基く要項改正の説明でした。問題なのは、10月1日より実施の①70歳以上現役並み所得者医療費負担を現在の2割から3割へと引き上げる内容の条例改正案、②障害者自立支援法関連で、生活用具給付や住宅改修に関わる給付について、福祉法に基くものを廃止し、自立支援法に基くものとして
利用者負担を各用具について定めた要綱、重度身体障害者のショートステイの廃止要項を示したものです。③70歳以上の療養型病床患者の食費、居住費の患者負担を定めた条例案が主たるものでした。
①高齢者の方は、収入があれば公平に現役労働者と同等の負担をと言う論理だが、病気はみんなに公平にはやってこない。お年寄りの人たちのほうが病気にかかりやすいことは誰も否定できないはず。ましてや単県医療費の廃止に伴う自己負担増、税制改正による住民税の大幅増、介護保険料の20%増など、お年寄りを狙い撃ちにした弱いものいじめのオンパレードです。これが政治のやることでしょうか。どう救済措置をとるのか、自治体の手腕が問われます。②基本的に利用者負担の導入ですから、障害の実態に合った用具を安心して利用できる状態を目指したものと言うよりは、応益負担が先行しているので自立支援にはなじまない内容と言えます。行政の単独支援策を模索しなければなりません。③いくら保険が適用されない事態とはいえ、全額自己負担になると,例えば一月食材費負担24000円が、食費居住費ふくめ、一月42000円とほぼ2倍になります。これでは患者にとって大幅な自己負担増となり、病院離れは免れませんし、病院にとってもそれは望むところではないはずです。早急に対応策が求められます。実質的なお年寄りの病院からの追い出しとなるでしょう。
2006年08月20日
ひまわりカーニバル
北木島から帰ると、干拓で行われている大空と大地のひまわりカーニバルに出かけました。多くの人でにぎわっている干拓地内、大人も子供もバザーや、航空ショウ、ラジコンや出店を楽しんでいました。笠岡出身で三原在住の男性もオートバイに乗ってやってきました。私も顔なじみのお店ではお土産や冷たいものを求め、関係者の皆さんのねぎらいも兼ねて、イベントを楽しみました。
肝心のひまわりはと言えば、まだまだ咲くのは先の話だと言うことでした。8月末か9月初めが開花予定だとか。干拓にいると、ひまわりは何処で咲いているのかと良く聞かれます。そのたび場所を教えて差し上げていたのですが、こんな状態だとは知らず、さぞがっかりされたことかと思えば、申し訳ない気がします。
どうやら菜の花の収穫時期に雨が多く、刈り入れが遅くなったためこの時期の開花に間に合わなくなったと言うのが主な理由らしく、その分、イベントの中身の充実が図られたとの見方もありました。それにしても伸びたひまわりの数も少なく、昨年のような見事なひまわりのじゅうたんが見られるのは来年を待たねばならないようです。
新しい島の住人の皆さん
配り終えてお昼をグルメ北木島で食べました。ここは笠岡市の島の活性化事業の一環、空き家対策への応募で京都から移り住んでいるご夫婦のレストランです。今年で2周年を迎えます。生きの良い魚料理と、フランス料理が楽しめます。民宿もしていますので、ゆっくり海を楽しむことも出来ます。北木島に来た時には時々ここを利用しています。
今日お会いした新しい島の住民の方です。奈良から来られました。「年金暮らしですが、気楽な1人暮らしだから楽しめます」とにこやかにおっしゃっていました。「日本中ゆっくり住めるところを探しましたが、四万十市と笠岡市が熱心でした。でも四万十市は間に入ったのは不動産業者でしたが、笠岡は行政、もしくは島海社の方だったので親しみを感じました。しかも、たいてい空き家の買取と言う企画が多い中、賃貸契約(月一万円)というのは魅力です。」とも言われていました。「島の暮らしを楽しんでくださいね。」「あなたも暑い中大変です。がんばってっください。」と、素敵なあごひげをカメラに収めて別れました。
北木島訪問
8月20日、みちこだより配布の最後となった北木島を訪問しました。暑い日になりました。夫は車で、私はバイクで始発のフェリーに乗って出かけました。いつもと違ったのは大阪を退職してふるさとに戻り、新築した家に暮らしておられる神田さんがボランティアで設置したシャワーとトイレでした。その横には日よけのシートを張り巡らしたテーブルもあって、さながらリゾートムードいっぱいと成りました。
その向かいには形の良い砂浜が広がります。バンで訪れていた家族が浜で泳いでいました。トイレとシャワーは、海を楽しむ人にとってありがたい施設です。体調を心配することなく安心して泳げます。ふるさとを愛する人に感謝です。
2006年08月19日
夜明けには咲くホテイアオイ
17日、水やりを忘れて夕食後庭に出て水の切れた水盤の中に見つけました。夜明けにはきっとうすむらさきの可憐な花が咲いているはずです。カメラに収めて水を満たしておきました。
ところでこの日、議会では一問一答形式を議題とした全員協議会が開かれました。議運に入って論議できないということは残念なことです。9月からの試行案は、一回目の質問にすべての項目について質問し、再質問から一問一答形式にするというもので、質問時間は30分(答弁時間含めず)に制限するものです。持ち時間の30分が残り時間を見えるように、カウントダウンの時計まで置くというのですから、何を重点とした論議がなされたか押してしるべしです。
議会活動において一般質問では、市民要求を代弁し、その実現を目指して政策提案をする。行政を見守り、チェックする。こうしたことができるように発言をきちんと保障することにおいて議会を民主的に運営するのが本来の改革の姿であるはず。そのことにおいて時間制限はなじまない問題です。大勢の発言を保障するため、どうしても時間制限しなければならないとしても、おおむねの目安とすべきで、決してカウントダウンするような類のものではないと思います。ましてや笠岡市議会は、24名中、9人から12人ぐらいの質問者で、それも議会が5時を越えて終わると言うことでもありません。むしろこんなに早く終わってしまった。と感じる日が多い有様です。長いことがいつもいいとはいえませんが、少なくとも時間制限する必要のない状況ではあります。それを固執する人がいたとしたら、一体何を目的にしているのでしょうか。
2006年08月17日
ミニひょうたん
8月15日、61周年を迎えた終戦記念日に、市内16箇所でご挨拶と政策のお訴えをして巡りました。日本人350万人の戦死者の半数が飢餓による悲惨な死だったということです。8月6日の平和式典で秋葉広島市長が「原爆の最大の役割は廃絶にある」と述べられましたが、人間を死に追いやるどんな武器も考えも、同じだと思います。
いつものように暑い日でしたが、今日の仕事を終え安堵して帰ると、裏の入り口にミニひょうたんが成っているのを見つけました。手の中に入ってしまいそうな小ささですが、姿がしっかり「ひょうたん」を主張しています。いじらしい気さえ起こるではありませんか。
このまま枯れた後、実を採って春まで乾燥させて放っておきます。来年の梅雨の前に種をまきますが、一つのひょうたんから20粒ぐらいはとれます。7月の母親大会まで、運営費捻出のためにバザーに出したのですが、姿を知らない人がいて、完売とは行きませんでした。それでも買ってくれた人はこのかわいい姿を楽しんでくれているでしょうか。
2006年08月16日
14日金浦中学校の同窓会
14日、金浦中学校の4年に一度の同窓会が開かれました。幹事の一員として食事とおしゃべり楽しむ時間はほとんどありませんでしたが、それでもみんなが楽しそうに話している姿に、今日を迎えてよかったと思えました。「どうそうかい」という言葉にはとても懐かしさのこみ上げる言葉の響きがあります。大役が果たせてほっとしています。
仲良し4人組です。アメリカ暮らしが長かった人もいて、初めての参加がうれしいスナップ写真です。それぞれのおかれた立場から、日々頑張って暮らしている様子を聞くと、明日から私も頑張ろうという気持ちがわいてきます。私への励ましも頂いて、同級生のありがたさが身にしみました。こんな機会がたくさんあるといいですね。遠くにいても忘れない存在っていいですね。
13日白石島に
みんなの休みを調整して13日、家族で友達のボートを借りて白石島へ海水浴とつりに出かけました。さすがにボートで海に出ると、磯釣りとは違って、大きなものがつれます。夫も久しぶりの笑顔でした。疲れましたが、来てよかったと思いました。卒業生にも会え、私自身も楽しかったのですが、シーカヤックに挑戦しようと思っていたことがかなえられなかったのは残念でした。
仲の良い孫二人、不登校とは思えない屈託のない顔で心の底から海を楽しみました。自分の出したゴミは持ち帰ります。それぞれに、楽しい思い出を山ほど作って歩いていると思えます。連れてきてよかった。浜辺では、エイミーとポールのバーでドリンクとおしゃべりを久しぶりに楽しみました。白石ではこの日、白石踊りの祭があったのですが、早めに帰りました。若者の多い浜辺でしたが、泳ぐだけではない海の魅力を感じました。
2006年08月15日
飛島に3ヶ月ぶり
6月議会のご報告「みちこだより」を配りに飛島に出かけました。1時の便で帰るためにバイクをお借りして効率よく回りました。「暑い中大変だね」とつめたい飲み物を提供してくださったり、お昼ご飯をおよばれしたり、きゅうりを頂いたり、本当にお世話になりました。中でもMさんには島の生活を教えてもらいました。週2回は生活用品や食料を売りに来られること。でも魚は写真のような金網のかごに魚の頭や鶏肉の皮など入れてを海におろしておくのだそうです。一日の終わりにはご近所に分けるぐらいの大漁だとか。便利ですねー。
獲れた魚をたくさん頂きました。あと一息のところです。お願いしていた路面の補修がきちんと出来ていました。飛島という名前にロマンを感じます。小さな島ですが、ゆっくり歩けば40分ぐらいのハチマキロードがお散歩コースにはとても快適です。
日本母親大会の報告会
8月8日、長野での日本母親大会参加者の報告会を兼ねて、笠岡での県母親大会のスライドショウを行いました。20名弱の参加のもと、ワイワイと楽しくすごしました。「母親が寄ればたのもしいね」「なんだかすごいパワーを感じるわ」と感想をもらす人もいて、定期的に集まろうと約束して解散しました。
2006年08月14日
今年も広島へ
今年も暑い夏の陽射しの中、8月6日の平和式典に市民の皆さんと参加しました。いつ来ても暑すぎる陽射しを浴びます。今年は7月に開いた岡山県母親大会イン笠岡の実行委員会にメンバーと一緒です。市職の企画したピースマラソンでの参加となりました。語り部の山田」さんのお話は心にしみました。平和への、核廃絶へのかたい思いをご自身の生き様と共に伝えてくださいました。私もその一端を担いたいと思い、平和への願いを新たにいたしました。
国会要請行動に参加
8月1日日本共産党岡山県議団による国会要請行動に加えていただきました。県下から寄せられた多くの要請の中、笠岡からは干拓建設残土搬入問題と、西の浜災害対策問題で要請いたしました。文書要請になりましたが、高島の離岸防潮堤を災害対策でも必要不可欠と、地元の皆さんの声をお届けしました。地方分権の風潮高いこのごろですが、これ以上の回答は出来ないという表情の中にもことの重要性を確かに感じておられました。