« 2007年07月 | メイン | 2007年09月 »
2007年08月23日
マリーゴールドのお茶?
畑いっぱいに植えてあるマリーゴールド。じゅうたんを敷き詰めているようできれいだと思っていたら、花を摘み取って、花びらだけをこれから干すのだと、ざるに入れて運ぶ途中の近所のおじさんに会いました。「へー、花びらがお茶になるんだ。」「そうそう、体にも良いそうだ。」太陽は相変わらずかんかん照りの残暑ですから、お茶になるのもあっという間だとのこと。ためしてみたいなマリーゴールド茶。
バイクで集金や、細かい用事で町に出ました。知人と話をして空を見上げると、珍しいぐらい入道雲が近くに見えました。22日の今日も暑いです。
ひまわりいっぱい
大空と大地のカーニバルが19日、干拓で行なわれました。いつもより濃い黄色のひまわりが100万本咲き誇ってひしめき合っていました。その奥で航空ショーや、地域の物産展が開かれています。広島からのツアー客が、ここを最後の視察場所にして高速道路に乗るらしいとの話も聞かれ、3万人を越える客足は、まんざら架空ではないと感じました。
航空ショーでは、空中に放たれたバルーンの束を、飛行機が体当たりして割るという演技が見られました。パーンという音が聞かれるたびに観客からの完成が上がっていました。
私は知り合いのお店で食べ物、帽子、果物、花を求めて、いっぱいの荷物を抱えてバイクで帰りましたが、国道へのアクセスはなかなかスムーズに入っていませんでした。いっぱいの人・車の影響です。うれしい悲鳴でしょうか。
塩害?枯れたサトイモの葉
稲の穂は、次第に枯れていき、とうとう田んぼ全体が茶色となりました。近くの畑のサトイモもかれています。川水を利用している畑の作物は生き生きとしていますので、川水に原因はない様です。海面よりも低いこのあたりの知恵ですが、西の山を切り開いて400軒程の団地ができたとき、ため池がきちんと整備されていない時代ですから雨水の排水のため、直径60センチの排水管が直接海に向けて敷設されました。大潮や台風などで海水が逆流しても山の中腹まで上ることはありません。縁月がたって最近、下水管を敷設する時、この排水管を2分し、ますを設けて用水路に流すこととしました。このため潮水の逆流が用水路に流れたと言うことで塩害が起きたと想定できました。昔のことを知らなければ到底解明できなかったことだと思います。それにしても早急に対策を講じないと、次の塩害が起きてしまいます。私は、業者と市に対して、とりあえず、逆流しても田畑に入らないよう対策を応急処置として行い、抜本的な対策は、これから下水道の枝線工事をするときに同時に行なって経費の面でも保障の面でも効率的に又十二分に対策をとるよう申しいれました。
マンホールを作って、団地からの雨水排水を用水路につなぎ、地域を流れる川に流すつもりだったのです。海に出る排水溝の出口は、ここから1メートルほど高い位置にありました。高低差だけを見ると、低い位置に水を集めるのが良策とされたのかもしれません。川の水は、水門へとつながり、満ち潮時には排水機によって海に流されます。
マンホールのふたを開けますと、両方の敷設管を浸して水がたまっていました。市は、カメラを通して中を調査の上対策を講じるとしています。
2007年08月19日
流星群
毎年のように我が家に集まる卒業生が今年も九州から四国からの帰省組みも含めて12日に集まりました。東京から帰省したわが息子が「今晩遅くに流星群が見られるよ」と教えてくれましたので、13日未明、みんなで見に行こうと言うことになりました。案内役の私は、遠くに行かず、干拓のひまわり畑にいって、夜空を見上げました。それぞれがそれぞれの想いを『星に願いを込め、降るような星に祈ろう(?)』といっていましたが、「あっ、流れ星!!」と声を発するばかりで、祈る暇はなかったのではないでしょうか。2時過ぎから30分ほどの間でした。やがて薄雲が広がって、見えにくくなりましたので、眠いこともあって早々に帰りました。私はそれでも初体験でした。ほんのり暖かい道に寝転がって、草の匂いをかぎながら夜空の星を見るって最高です。
フラダンスの夜
11日、地域の納涼祭でした。生き生きサロンの有志のフラダンスが披露されました。少し恥ずかしかったですが、地域の取り組みに少しでも花を添えることができて良かったと思っています。練習不足から間違えることもありましたが、楽しく踊ると言う先生の言葉を実践できたことも良かったと思っています。
涼しいゴウヤのすだれ
我が家でははじめてのゴウヤのつるが窓の外にびっしりと葉を広げ、実がなり日陰を作って涼しげです。苗の半分は買い求めたもの。半分は友人に分けて頂いたものなので、実も白かったり緑だったり、大小もさまざまですが、味のほうは苦味が少なくて抜群です。酢の物、炒め物、ジュースに大活躍。でもなかなか『ゴーヤ美人』には縁がなさそうです。今年の日焼けははんぱではありません。
日中の暑さに、愛犬もぐったりです。今は台所の住み心地が良いようで、保育園から帰った孫の子守をしてくれます。
塩害?枯れた稲の穂
大変!!稲が枯れている!生江浜の田園は、昔海面よりも低いところを土手を築いて開拓されたため、最初は塩田として、今はたんぼとして用いられているところですが、海面より低いことがしばしば問題を引き起こします。8月の初め、「なんだかここの稲穂は黒いよ」という地域の人の言葉もあって数日たつと、茶色に枯れ始め、持ち主はびっくりしました。県が土壌と水質検査をしましたが、塩素濃度が異常に高いことから、海水が上がったとしか考えられません。こういう場合の保障問題は本人が何か保険めいたものをかけてないとつかないものでしょうか。被害を受け放しというのがかわいそうでなりません。
通学路を安全に
西中への通学路がこの4つ角で交差します。バイクが飛び出してきて、下ってくる車と接触。下る車のスピードも加速して中学生と言えども危険極まりなく、2年ほど前から教育委員会や警察に対処方お願いしていたところですが、停止線をつけていただけました。でもこの停止線一つで、ずいぶんと時間がかかるものです。待ちくたびれて「だめなのかー」と思ってるときにしていただけるのですから。私にこの件で相談してくださったおじさん、名前も連絡先も教えてくださらなかったけれど、「30キロ制限を」との要望でしたが、停止線設置で納得していただけていると信じます。
合宿3日目広島慰霊祭
「広島長崎の悲劇を2度と繰り返してはならない。........非核3原則を堅持して....」と語る安倍総理の美辞麗句は、平和憲法改悪に向けた法案の強行採決や、被爆者認定に関わる裁判で政府の不誠実な対応などの現実の前に空文句となって響いていました。後ろのほうに座った参加者の1人から、「『総理をやめろ!』の声がとびょーたでー。」と後で知らされました。さもありなん。
貞子の像に千羽鶴の束をささげました。式典のあとに見学した2つの資料館では原爆投下の実態を5感で体感してきました。たくさんの外国からの参加者も真剣に見学していました。若い人たちも多くいましたので、『みんなの未来を平和なものにしようね。』の思いを大きく膨らませることができました。何よりも一緒に来たこの子達の幸せを強く願いました。献花する人の波が絶えない平和の火の前で花を手向けながら「繰り返しません。過ちは」と念仏のように唱える隣人の声がありました。私の胸にも協和音のように響きました。
合宿2日目島で海水浴
2日目の8月5日は船で高島へ行きました。釣りをする人、泳ぐ人、ジェットスキーをする人、我が家の家族とお手伝いのお父さんも含めて総勢13名。つれた魚を見事にさばく手際よさに見とれて「おじちゃん私も教えて!」と女の子達が群がる。お手伝いのお父さん、うれしい悲鳴。その夜は楽しいバーベキューでした。疲れてぐったりの子供達も、夜は元気いっぱい。「明日の広島行きのバスは5時発ですよ!!」
夏合宿1日目よっちゃれの夜
中一の孫娘と、彼女の友人その兄弟など6人がいつも土曜の夕方我が家に集まって勉強(?)をする様になったのは5月ぐらいからでしょうか。すっかり家族気分で、この夏2泊3日の合宿をしました。1日目の8月4日の夜は、よっちゃれに参加です。集合時間と場所を決めて、自由行動2時間でした。私は知り合いの連に加わって踊りに参加したり、私学の仲間の連を応援したりで、充実した時間を楽しめました。議員の連が、参加者少人数で成立しなかったのはとても残念なことです。少なくても参加することに意義がある!!写真は龍谷大付属高校の連。
合宿所には、この夏植えたミニひょうたんが、かわいい実をつけていました。
2007年08月03日
台風5号接近
2日深夜12時前から、金浦湾を見回りに出かけました。今回の5号台風は、テレビで報道されているほどの脅威はなく、何事も心配なことはありませんでした。ただ、4号台風の時のように、冠水箇所2箇所の原因が定かでないこと、その対策がはっきりしていないことがさらに明らかになりました。対市、対県要求の取り組みが必要かとも思いました。
何よりも前回用をなさなかった住吉水門の扉もきちんと閉められており、業者の方も、県、市の職員の皆さんも対応されていましたから、住民の皆さんは安心です。
3年前の16号台風の教訓から、JR西日本の職員の方も出られていました。時間ごとに記録をとられ、報告をしていました。
消防団の方も、消防署の方もそれぞれの場所で、任務を果たされていました。本当に何事もなくてよかったですね。ご苦労様でした。帰宅時間は午前3時を回っていました。
恵風荘夏祭り
8月2日、台風5号の接近で、屋外を予定していた恵風荘の夏祭りは、施設内でおこなわれることになりました。地域の子供達、地域の婦人会の会員の皆さん、公民館関係の皆さん集まられて、盛況でした。入所者の皆さんも一緒になって祭を楽しんでいました。
第三の息子
やんちゃなラブラドールでした。黒い毛並みの美しいオスでした。1963年3月14日生まれの14歳でした。昨年の夏ごろから変な咳をし始めました。もともとフィールド犬タイプのスラリとした体格のハンサムな犬でした。肝硬変でした。フィラリアの薬が体によくないそうです。グロンサンを飲ませていました。毒素を排出しやすくするそうです。7月初め、暑い日が続きました。咳のひどさが目立つようになりました。獣医は酸素吸入とレントゲン撮影、血液検査を勧めてくれました。もう長くないともう1人の友人の獣医が教えてくれていました。せめて咳が楽なように、注射をして頂きました。26日、暑い日に天に召されました。東京の息子に知らせると、「...」声を殺しました。ヒューマの首輪を僕にくれと言いました。子供の頃からヒューマとともにおおきくなりましたから。
もう1匹のサクラは10歳です。海にも今年から一人でついて行かねばなりません。「犬には怒はあるが悲哀はないからね。余り悲しまないで。」と警察犬訓練士の先生。でも10日前には16歳のヨークシャテリアも亡くなっていますから、本当に寂しくなりました。
海の好きな犬達が水に入ると、あくことを知らず、子供のように戯れます。
2007年08月01日
選挙が終わって
暮らしと平和を確かな野党を見極めて守るのか、自公の構造改革路線を続行させるのか国民が選択する29日が穏やかに過ぎました。残念な結果に終わりましたが、この間日本共産党が訴えた公約実現に向けて私の立場から頑張ります。30日月曜日から街頭に立ち、お世話になった皆さんに声をかけています。又、選挙の関係で遅くなった6月議会のご報告をしています。道行く人たちも、足を止めてくださって「残念だったね。入れてあげたよ。」と声をかけてくださいます。ありがとうございます。これからもよろしく。頑張りますから。との気持ちを込めて手を振りながら訴えを続けています。
写真はわらじ。もともと味があって好きですが、地元の人の手づくりを見ていると、私はこのわらじを心に履いて歩いたのだなとい感じたものです。
たった今、瀬長亀次郎の歩んだ沖縄返還の軌跡をNHKが特集していました。忘れられた島の戦いと題しての番組でしたが、今、彼の結んだ言葉「宇宙がある限り.....沖縄がよみがえる。」が私の目に耳に闘う人の熱い想いとなって焼きつきました。これほど祖国を愛し、守り闘った人がいたでしょうか。後に日本共産党の副委員長にもなられました。
写真はさぎ草の1種です。